かつて、ある農村に一人の少年がおりました。
村の誰もが精を出して農作業に励む中、その少年だけは畑の隅で泥をこね、
毎日毎日、陶器作りに明け暮れておりました。
当然、周囲からは冷たい視線が注がれます。
「そんな泥遊びをしていないで、農作業を手伝え」
「茶碗なんて、飲み物が入ればどれも同じだろ」
「兄を見習え。あいつは誰よりも真面目に働いているぞ」
少年は、村の「平均点」という定規で測れば、完全に落第生でした。
しかし、少年はただ、自分の手から生まれる形に夢中だったのです。
ある日のこと、都から一人の商人が村を通りかかりました。
商人は、活気のない村を見下し、早々に立ち去ろうとしました。
ところが、ふと少年の手元に置かれた茶碗に目が留まり、
思わず足を止めたのです。
商人はその茶碗を手に取り、こう言いました。
「この少年を、都へスカウトしたい」
結果、少年は都へ渡り、やがて歴史に名を残す「名工」となりました。
賢伸塾からの問い:場所が変われば、才能は突き抜ける
この物語は、現代の学校教育にもそのまま当てはまります。
学校という「農村」で、農作業(=みんなと同じことが出来ること)が苦手だからといって、その子がダメなわけではありません。
ただ、「適した場所」にいなかっただけなのです。
今の教育の現場では、「平均的にできる子」が重宝されます。しかし、断言いたします。
「みんなと同じ良い子である必要はない」
大切なのは、わが子が「農作業の才能」を持っているのか、それとも「茶碗を焼く才能」を持っているのか。それを親が、そして指導者が正しく見極めることでございます。